
境内にある記念碑には以下のように記されています。
栗谷は五反田川の清流に接する景勝の地であった。然るに近年住宅公団その他による市街化が急速に進むにつれ、栗谷地区の開発と生田駅への通勤路の必要性を痛感し、昭和四十四年錦ヶ丘宅地造成を計画した。途中幾多の障碍を経て同四十六年、川崎市に宅造許可申請書を提出、同四十七年六月許可、同四十九年二月完成した。また附近住民の要望により此の地に多摩消防署栗谷出張所、錦ヶ丘子供文化センター、錦ヶ丘老人憩の家の設立を見るに至る。昭和四十七年宅造地内の栗谷遺跡の発掘を行い、縄文、平安、両時代の住居址と多数の石器、土器が発掘された。また天保十一年よりこの地に祭る須賀社の老朽社殿の新築を行う。ここに宅造完成、遺跡発掘、社殿新築を記念し碑を建立する
昭和四十九年十月